ひとりごと バックナンバー 2004 (2003年以前はリクエストしてください。)


第23回ひやくジョイントこんさあーと
2004年10月25日
《台風過ぎて…》 のん気に下の文章を書いていた時、外はエライ事になっていた。ようやく夜中過ぎ、台風も行ってしまったなぁと思い、外をのぞくと…家の塀が倒壊していた。このままじゃ車も通れない、ということで夜中にもかかわらず両親をたたき起こし(?)塀を起こす作業に。塀は根元から折れてしまったため、石原家は今日から工事に入ることになった。外は工事、中は大道具の山。やれやれ。しかし、この興奮も冷めやらぬまま、新潟では大変な事になっている。各地の皆さま、お見舞い申し上げます。

《バリアフリーまであと10日》 まだ座席余裕ありますよ〜。せっかくだから、とことんお客さん入れて公演やりたい。今週中に茨木市広報と、読売新聞とサンケイリビング、シティライフに掲載予定。予定なのよ。こういうのは、世の中が平和な時のみ掲載されるのである。ほんとうに世の中平和であってほしい、と思うイシハラさんである。

2004年10月20日
《あ、そうそう》 “ぬりかべ”君、無事ご帰宅。今は私のベッドに鎮座なさっている。ほんとにねぇ、よく帰ってきたよねぇ。
よかったよかった(?)

《ゆうき君のお稽古もたけなわ》 …というか、やっと他の本番が終わって本腰が入ったというか。しかし毎回、熱のこもった(?)ディスカッション&反省会。それだけでは足りず、後から電話攻撃。(やってるのは全部私かもしれない…)台本は再三書き直され、やっと一段落したと思ったら、今日になってオリジナルの歌を書き換えることになり、台風で仕事が休みになったので一日カンヅメになってやってみた。さらに、アキ役の石田恭子さんは、同じく台風で休みになり…、と思いきや、私に呼び出され書き直された歌を歌うためにやって来た。台風なのに。ごめんねぇ。でも今回は打楽器が入ったこともあって、すごい豪華で楽しいです。おすすめよ。まだチケットありますので、ぜひぜひ来てね。

2004年10月13日
《切り絵が完成しました。》 11月3日のバリアフリーコンサートの第1部で使う藤田真理さん作の切り絵が完成。…いやぁ、これがすごい力作なんですわ。最初にこちらから渡したのは、2,3枚の写真と音楽のテープだけ。それだけで、素晴らしい8枚の絵が完成しました。これを舞台に写そうと思うと、写真に撮ってスライドで出す、という方法になるため、せっかくの原画がもったいないので、ロビーに展示することにしました。どうぞ、こちらも合わせてお楽しみください。
《学生になってみた。》 何を思ってか、この10月から大阪芸術大学短期大学部の通信教育部に入学してみた。実は石原さん、ピアニストになってなかったら考古学者か幼稚園の先生になりたかったのだ(この選択肢もかなりぶっとんでいるが)。で、別に今さらどうなるわけでもないけど、幼稚園教諭の免許があれば何か役に立つこともあろーかと、願書を送ってしまった。「あの〜、私、音大を卒業してるんですけど〜。」「あ、じゃあ、“音楽”の授業は免除ですね。」しめしめ。何年ぶりかで「学生証」なるモノを持ってしまった。最近のは写真もカラーできれいよねぇ。ちょっと、うれしい。その後、教材が到着。あれ?めっちゃ箱が大きい。何これ?中をのぞくと、免除になったのは本当に“音楽”とあとわずかの科目だけで、ほとんどの学科が取り直しである。あまりのカリキュラムの多さに、早くも挫折しそうな“いしはら”である。こうやって公表してしまったら、意地でも何とかなるかもしれない、と思い、あえて言ってしまった。
みなさ〜ん、応援してね。
2004年10月5日
《ゲゲゲのふるさと訪問記》 突然ナンですが、10月2、3、4日と、鳥取県、岡山県、広島県と回ってきた。どうしてこんなハメになったかと言うと、今、関西二期会が移動公演のまっさい中。たまたま休みがとれたので、向こうがオフ日の土、日を利用して、小西潤子とお忍びデート(のはずが全員知っていた。なんで??)することにしたのだぁ。とりあえず「ゲゲゲのキタロウ」で有名な境港で落ち合うことにして、私はバスで米子まで行き、電車に乗り換え境港へ。なんと、1両の電車。表にはキャラクターの絵が描いてあり、ちょっとかわいい。中に乗ると…。天井一面に妖怪の絵が描いてあって、怖かった。。。境港の港で、隠岐島からやってきた小西と合流。この町はキタロウで持っている、と言えるほど、町全部が「ゲゲゲ」一色である。おみやげ物店もそれぞれオリジナルの物を置いているので、全部回っても飽きない。「ゲゲゲ」を堪能し、皆生温泉へ。温泉といえど、我々の泊まるのは公衆浴場の隣に立つビジネスホテル。ここは安い、きれい、風呂入り放題と、うれしい事づくめで、超おすすめである。(おすすめすぎて、名前は書けないっ!) で、今回の旅は、これで終わってしまったのだが…。「1両電車で、乗り継ぎに30分以上も待つような所に一人で行かせるんかぁ?」と言うコニシにくっついて、備後庄原まで一緒に行くことになった。(ホントに1両電車だった。)山の中を無人駅が続く単線電車に乗り、途中下車した所は岡山県だった。さらに電車を2つ乗り継ぎ、日もとっぷり暮れて真っ暗になった頃、備後庄原(広島県)に到着。ここも、なぁ〜んにもないのどかな所である。無事(?)コニシを本隊に送り届け、私はそこで1泊し(しないと電車がない。。。)翌朝の電車で広島へ向かった…。

《ぬりかべ一人旅》 境港で購入した、「ゲゲゲの鬼太郎」の「ぬりかべ」の“うたた寝枕”。「こうやって座らせたら、一人で旅行してるみたいでかわいいよね〜。」などと言いながら、写真を撮っていたのだが、次の日、私が広島に向かう電車の中で爆睡し、あわてて降りたため、置き去りにされてしまったのだあ!新幹線に乗る寸前で“ぬりかべ”がいない事を発見し、一旦入ったホームを出て遺失物案内所へ。私「芸備線の電車に忘れ物しまして〜。10時49分着のです。『ゲゲゲの鬼太郎』の“ぬりかべ”のクッションなんですけど〜」駅員さん「えっ?それで降りて来られたんですか?」(普通はそんなモノのためにわざわざ指定席を蹴って降りたりはしないらしい)私「なかったら別にいいんですけど…まぁ、一応ね。」駅員さん「その電車でしたら折り返し○○行きになって行ってますねぇ。」…その前に私が乗っていただけでも80分以上あった。。。駅員さんの言っている駅は私の乗ってきた駅よりず〜っと向こう(のよう)である。“ぬりかべ”よ、お前はそんな遠くまで一人で旅に行ったんか。…遺失物届けに“ぬりかべ”の絵まで描いて説明する私。なんか、恥ずかしい。「大阪に帰られたらここに電話してください。」と言われて渡された電話番号にかけると、「その電車、広島に戻ってくるのは午後2時ですね。その後車庫に入って、明日の午後4時に清掃があるので、その後でまた電話してください。」はぁ…、“ぬりかべ”はどこへ行ったんや。と思っていると、夕方先方から電話があった。「広島駅で保管しています。」おおお〜。素晴らしい。ほとんどあきらめてたのに〜。“ぬりかべ”は我が家の家宝じゃ。彼は現在、広島駅で「保護」され、8日に小西に引き取られるのを待っている…。。。しかし、どこまで行ったんだろう、帰ってきたら、“ぬりかべ”に聞いてみたい“いしはら”である。

2004年9月26日
《上の写真》 約1年ぶりに写真を変えてみました。というのも、前のモノクロの(プロフィールに出ている写真)が「怖い。」というご意見があったもので…。この時代なので(?)ついでにカラー撮影してみました。いかがなもんでしょ?

《しかしねぇ…》 ホントに毎日、これだけ色々事件があるよ、と思うイシハラの人生である。何かモノがなくなって探すハメになる(これも事件のうちである)、はしょっちゅうなのだが、ホントに“飽きない人生”である。(“懲りない人生”かもしれない。)
 まだ来年の話なので、発表はできないんだけど、またビッグな企画が動きそうである。それでまた、エライ人からエライ人にダイレクトに話が行ってしまったらしい。私はまた、必死の書類書きである。そのうちまとまってきたら発表しますので、お楽しみに。
 あ、そうそう。伊丹のバリアフリーコンサートは決定なので、最新情報見てください。
《タイへ行ってきました3》 …なんで写真がこれだけなのよ?!実はまだカメラマンのカメラの中なんですわ。やれやれ。タイはチェンマイ、プーケット、バンコクへ行ってきたのだが、なんせ2日おきに飛行機での移動なもので、飛行機に乗ると頭痛のするイシハラさんにはなかなかハードなものでした。バンコクでは、かの地に住んでいる従兄弟と約3年ぶり(ぐらい?)にご対面。日本語(しかも彼は東京人のため標準語)とタイ語を見事に使いこなしている姿に感動。(っていうのもヘンな話だが)彼は産まれた時は大阪に住んでいたので、私にとっては子どもの頃のイメージしかなく、大きくなってるだけでも感動なのである。今、その従兄弟はバンコクの大学2つと早稲田大学バンコク校の日本文化とタイ語の先生をしているらしい。ほぇ〜。まぁ、元気でがんばってくれぃ、と願いながら、大きくなった従兄弟に見送られ、ホテルまで外向きだしのトゥクトゥク(タイのタクシー)で帰ったイシハラでした。…怖かったんだわ。このタクシー。エンジン小さそうなのに全速力だから。
2004年9月12日
《“ゆうき君”お稽古開始!》 約半年ぶりに「ゆうき君の手紙」のお稽古が始まった。今回は新しく付け加えた場面もある。澤井宏仁さんの“ポストマン”も前より(横に)成長して、すでに横綱級である。今回、“四季の精”が小西潤子さんに代わった。稽古初日からパワー全開で飛ばしまくっている。怖くてちょっとおちゃめでラブリーな“四季の精”である。“ゆうき君”はやられっぱなしである。普段、小西潤子を見慣れている(聴きなれている?)方にとっては、かなり珍しいモノのはず。乞うご期待!その中で、“アキ”の石田恭子さんだけが、なんとか平静を保とうと(?)がんばっている。今回は伴奏に打楽器が加わることもあり、かなり楽しそうである。チケットの売れ行きも順調なので、行こうと思われる方はお早めに。よろしくお願いします。

《実は“魔笛”のお稽古もたけなわ》 そうそう、茨木市音楽芸術協会の「魔笛」も今、同時進行中である。結構頭がウニ状態なのだが、我ながらよくこなしていると思う。ある日、パパゲーノが休んだため、代わりにセリフを言ったら「ゆうき君みた〜い。」(さすがは茨木市民、事情をよく察している。) パミーナ(お姫様ね)の代わりにセリフを言ったら、出演者一同吹き出していた。ふん、どうせ私はお姫様じゃないよ。そんなことより、歌覚えてよ歌。(私はホントはここではピアニスト)

《タイに行ってきました2》 実は…やっぱり写真が間にあってないのだが、タイに出かける前の日に「手足口病」にかかってしまった。これは主に子どもの病気で「なんで子どももおらんのに、子どもの病気にかかるんや〜」と、主治医に笑われながら出発。ウワサには聞いていたが、手と足と口の中にブツブツができて、これが痛いんだわ。おかげで食欲がいつもの半分に。これで痩せるかと思いきや、週の後半には元の食欲に戻っていたため、ダイエットは帰国後の課題に…。

2004年9月1日
《バリアフリーコンサート チケット売り出し開始!》 何をかくそう(別に隠してないけど)、9月1日はバリアフリーコンサートのチケット売り出し日である。にもかかわらず、私は朝から仕事。事務局へはあーちゃんが「ご出勤」。さすがのあーちゃんも寄る年波には勝てず(?)、最近は電話のボリューム最大でがんばっている。それでも最初の頃は慣れないため、(聞き違いなど)色々あるらしい。どうぞご協力の程、よろしくお願いします。

《タイに行ってきました》 今年の夏はタイに一週間ご旅行。実に色々あった1週間だった。追々書こうと思っているんだけど、何せ写真が間にあってないので、次回以降ということでお許しください。

《「砂の器」終了》 これだけ書くと何のことかわからないと思うが、日航ホテル茨木大阪のトワイライトコンサートの石原さんのメイン出演日、「砂の器」が終了。当日、私もびっくりの今年度トワイライトコンサート一番のお客様の入場数でした。一応、男装(?)して演奏。でも服装は皆さんどうでも良かったみたい。自分が暑かっただけソンした気分。今回はピアノ2台だったのだが、ホテルには1台しかないため、電子ピアノを持ち込んでの公演。このピアノ運搬から、衣装メイク、バリアフリーのチケット売りまでやってくれたのが、たまたまこの日オフだったソプラノの小西潤子。実はこのお方、一緒に舞台に立っている回数は一番多いのに、私がソロで出演するコンサートの時は、仕事と重なっていてほとんど聴いてもらったことがないのである。で、この日も結局本番はスタッフさせていたため、聴いてもらい損なってしまった。その代わり(?)リハーサルは目の前にいらっしゃったもんで、私しゃ試験されてるようで、めっちゃ緊張したわぁ。相方の村崎愛ちゃんも見かけよりウンと賑やかなコで、いろいろ新しい発見があった。このメンバーで11月のコンサートをいたしますので、どうぞご期待ください。(礼)
トワイライトコンサートは、まだ最終の9月5日に出演します。
2004年8月12日
《お誕生日》 実は、今日は私の誕生日である。このトシになって、別にめでたくもないのだが、イシハラ家ではこの時期、お盆休暇で弟(を除く)一家(義妹、きほ、かずのり)が里帰り、「誕生日」は重大なイベントと化す。(要するに誰が誕生日でもいいのだが)
まず、お誕生日にケーキは必修である。これをわざわざ自分で買いに行くのはどうも気が引けるのだが…。「お名前は何て書きましょう?」「え〜と、『みっちゃん』で…。」「ローソクは何本で?」「何本でもいいんだけどぉ…、とりあえず、じゃ、8本。」おいおい、どうなってるねん。これを毎年やっている、おめでたい“イシハラ”である。

《イシハラの生徒 進路ランキング?》 道でばったり、昔ウチでピアノを習っていた子のお母さんに出会った。何でも、国家試験をパスし、今年から看護師になった、とのこと。おめでと〜。まぁ、ピアノ教師の場合、その子の進路をとことん見極められる所までお付き合いすることが少ない(ほとんどの子がそれまでにやめる、ってことね)のだが、今、私のところで把握している、生徒の進路ベスト3を発表すると…、?スーパー勤務 ?学校、幼稚園の先生 ?福祉、看護関係 ってところですか。私が音大の先生なのに、音大に進学した子が一人もいない、というのも、ウチの教室の特色?である。小さい頃から、障害のある人たちが身近な存在で成長するため、福祉に進む人は圧倒的に多い。そしてそれぞれの職場で“音楽”が生きているようである。結果がどうでも、それぞれ自分の道を進んでください、と影ながら思っているイシハラです。

《1ヶ月前。》 イシハラさんの予定は、全部“1ヶ月前”が勝負である。例えば旅行に行く場合、スーツケースのフタがあくのが1ヶ月前。持って行く荷物を入れたり出したり、1ヶ月楽しむわけである。それから演奏会の衣装は、1ヶ月前には決まって目につくところにかけられる。(こうしておかないと、練習を忘れたりするから。)こうなると、途中で変更になる衣装もあったりする。8月31日はテレビの曲ばかりを集めたコンサートで、ピアノ協奏曲「宿命」を弾くことになっていて、ドレスを着るはずだったのだが、やっぱりドラマの印象が強いのでタキシード?って話になってきた。う〜。ピアノ弾く時まで“男装”するハメになるとは…。さて、どうなりますやら、お楽しみに。

2004年8月5日
《夏休み!》 いやぁ〜今年の夏は暑いですねぇ。何となくホームページの更新もサボりがちなイシハラですが、11月のバリアフリーコンサートのチケット発売は9月1日!その準備もしながら、来年度の話も進行中で頭はあいかわらず“ウニ”状態です。まだ発表できませんけど、またエライ事になりそうです。とりあえずは目の前の“ゆうき君”に取り組まなければならないのですが、その前に本職?のピアノのコンサートがあったりするもんで…。はぁ。DMもたぶん間にあうと思いますけど、もし発送遅れたらごめんなさい。(先にあやまっとこ〜。)
《それでも夏休み》 この状態でも、寸暇を惜しんで遊ぶイシハラ家。上の写真は7月末にひまわり畑で撮ったもの。めっちゃ暑かった。8月に入って涼しい上高地へ。ゴキゲンで帰る途中、立ち寄ったお店になぜか「石原プロダクション」のショップが。何の興味もなかったんだけど(ゴメン)、ふと見るとTシャツに“ishihara”という文字が。しかも、ロケの時スタッフの人が着ている物らしく“staff”という文字も見える。「あれぇ、これ、名前書いてくれてるわ。コンサートの時、よく『石原さんってどの人ですか?』って探してる人いるけど、これ着てたらわかりやすくていいよね〜。」と言ったら、ウチのあーちゃんが「買おうか。」と言ってご購入になった。おまけに、他の「イシハラ家スタッフ」の分まで買おうとするので、それはさすがに恥ずかしいので止めた。他にも色々なグッズがあったのだが、私から言わせると全部に“名前”が書いてある状態である。なんだか、まだまだ買ってしまいそうな勢いである。「はい、そこから顔出して〜」と言われて、何がなんだかわからないまま撮ったのが右の写真。(しかし、この写真のオリジナルは裕次郎ではなく哲也である。)来年あたり、バリアフリーコンサートにイシハラ軍団がいるかもしれない…。(汗)
2004年7月25日
《ほのぼのコンサート終了。》 茨木教会の「ほのぼのコンサート」“ほのぼの”やるつもりが、開場と同時に雲行きが怪しくなり…。開演の頃には大嵐。雷鳴はとどろくわ、大雨が降るわ。一体どうなることかと思いきや、終わる頃にはすっかり晴れていました。どうもこのコンサート、遅れて来た人だけずぶ濡れになったらしい。でも大勢おいでいただきました。ありがとうございました。(礼)
2004年7月11日
《HPお引越し》 …といっても、バリアフリーコンサートのページが動くわけではありません。実はバリアフリーとイシハラのこのページがあまりにギャップが大きく(?)さらに、イシハラ個人のコンサート情報などもあるため、だんだん管理が煩雑になり、ついにイシハラのホームページが独立することになりました。先日、デザイナーの方と初めて打ち合わせ。(おおっと〜!こういうのも初めてだわ)さらに、この「バリアフリーコンサート」HPについては、視覚障害者対応になる予定です。時期など、また詳細は決まりしだい発表いたしますので、お楽しみに。

《別人?いしはら》 先日、新しくプロフィール用の写真を撮りに行った。別に、今すぐ要るわけじゃなかったんだけど、イシハラは変わり者(?)なので、用事のない時に限って写真撮ったり衣装買ったりする人なんである。そこではヘアメイクもやってくれて、無事撮影終了。メイクを落とすのかと思いきや、「このままでいいですね〜。」と、ほぼそのままの顔で送り出されてしまった。ほぉ〜。せっかくなので、友人Aにケータイで写真を撮ってもらい、「今日はべっぴんで〜す。」と、友人Bに送ってみた。後日、Bのケータイをのぞくと…。「別人イシハラ」と書いてあった。なんで????
2004年6月29日
《“魔笛”稽古開始!》 前にこのページに紹介した茨木市音楽芸術協会のオペラ「魔笛」(演奏会形式・ハイライト)のお稽古が始まりました。こちらも、延べ100人以上が関わっている事業のため、日程調整だけでも大変なのだぁ。だけど、だ・け・どぉ〜!知ってる?この本番は12月4日、「バリアフリーコンサート」はその1ヶ月前の11月3日。あああ〜。またキョウフの掛け持ちをしてしまった石原でした。まあ、おかげ様で掛け持ちもだいぶ慣れてきたので、その辺りなんとかなるんでしょ。(他人事と思わないとやってられない…)
《今度はカタカナ健忘症?》 またまたやってしまいました。今度は知り合いにワインをプレゼントしようと思い、メールで友人に「○○さんの好きなワインってバローソやねぇ。」と送ったら、「バローロです。」… 「バローソ」は“ブラジル”(曲名)の作曲者やったわ。(♪)あああ〜。またしばらく笑いネタになりそうな石原です。

 「バローロ」を買いに行った日。私「バローロってどれですかぁ?」店員「はい、こちらでございます。」私「あれ?私が知ってるのとラベルが違う…」店員「会社が違いますから。」私「???!!」店員「バローロというのは単なる地名です。」
…そうだったのネ。で、その店員の薦めるままに、別のワインを買ってしまった私…。
2004年6月23日
《千葉県へ行ってきました》 以前このページでもご報告した通り、石原の弟一家は現在千葉県の鎌ヶ谷市に住んでいる。先日、はじめてこの地をご訪問。弟は1年ほど前まで大阪にいたため、車のナンバーはまだ大阪ナンバーである。ヘッ!大阪なんてそうないもんね〜、と思いながら行ってみたら…。そこは国家公務員が集団で住んでいる所のため、車のナンバーも全国区である。ホントのナンバーはどれなのか、わからないぐらいである。遠いところは沖縄なんてのもあった。ほぇ〜。まぁ、ウチの弟の変わったところと言えば、大阪ナンバーなのに岡山から来た、ぐらいかしらん。自己紹介する時は「岡山から来ました、大阪の石原です。」と言っているらしい。やっぱりウチの家族、どこかヘンである。

《じゃんけん いろいろ》 ウチの姪のキホちゃん、5歳。子どもは何でも順応するのが早いのである。この間まで岡山弁をしゃべってたのに、もうすでに標準語(?)っぽくなっている。岡山弁で何が一番印象的だったかつうと、「じゃんけん」である。最近は必ず「最初はグー」ってのが付くらしくて、その後じゃんけんになるのだが、岡山へ行くと、「最初はグー、じっけったぁ!!」と、なるんである。で、「あいこ」だったりすると「あ〜らったぁ!!」と、マジで言うのが、私にはおかしくてたまらなかった。で、久々にキホちゃんが「じゃんけんしよ〜」と言ってきたので、来た来た、来ましたよ〜と、期待度100パーセントで待っていると…。「いんじゃん、ほい。」え?それは大阪でしょ。「あー、間違えたぁ〜。最初はグー。」よしよし。「じゃんけん、ほい。」あれ?普通やん。あ〜ん、つまらない。
2004年6月11日
《ポスト通信》 茨木郵便局たより「ポスト通信」春期号(もう6月なのに)に石原の記事が出ました。基本的には茨木市内の郵便局においてあるようです。郵便物を出しに郵便局へ行ったら「あ〜っ!こんにちわぁ〜」と、郵便局のお兄さんに思いっきりフレンドリーに挨拶されてしまった。いやぁ、私、よく来てますけどぉ、「めっちゃお友達」ってワケじゃ、ないんですけどぉ…。帰りに茨木市役所を通ったら、一番人がよく通るところに、固めて置いてあった。近所の整骨院に行ったら「見ましたよ〜、郵便局の。はい、これ。」と色紙を渡され、ナゼかサインをするハメに…。お、おそろしい…。こういう時って、街中歩いてても人に見られてる(ような)気がして、どぎまぎしてしまう。しかし“いしはら”オンとオフの差がすご〜くある人なんで、大抵の人はわからないみたいです。
2004年6月8日
《犬の名前 健忘症》 最近、MOGUという、さわるとふにゃ〜っとした感触で人気のクッションがある。いろいろなヴァージョンがあるのだが、犬のぬいぐるみの形のが結構かわいい。友人にそれをプレゼントしようと思い、前もって希望を聞いておいた。「えーっとねぇ、レトリバーのやつ。」…レトリバー、あ、「ラブラドール・レトリバー」ね。石原、犬の名前にはトンと疎い。なぜかここで、「フランダースの犬」に出てくるパトラッシュを想像してしまい、私の中で「ラブラドール・レトリバー」はパトラッシュになった。…

 さて、「パトラッシュ」を買いに行った日のこと。どこにでも売っているものかと思いきや、意外にそうではなく、2,3軒の店をウロウロした後、やっとお目あてのモノを発見。「茶色のブチ犬、黄土色のブチ犬、どっち?」とメールしたら、「真っ黒。」ん?パトラッシュは真っ黒やったんか?おお、あったぞ。あれ?大きいのと小さいのとある。パトラッシュはLサイズとMサイズがあったんか?まぁいいや。とりあえず両方持ってレジへ。私「あのー、この犬、大きいのと小さいのと、どう違うんでしょう?」 レジのお姉さん「(笑いをおさえながら)犬の種類が違います。」 私「ええ〜っ!(メールを確認し)ラブラドールってどっちですか?」 レジ「(ますます笑いをおさえながら)こっちですねぇ。」 私「じゃ、こっちは何?レトリバー?」 レジ「(吹き出しながら)○○○○です。(注:既に覚えてない。)」 私「値段はどう違うんですか?」 レジ「同じですねぇ。」 私「へぇ〜っ。こんなに大きさ違うのに〜?」 私が買う予定の「パトラッシュ」は大きい方だったため、大変トクをした気分になり、それを入れるための袋まで買ってしまった。私って一体…???

注:「フランダースの犬」のパトラッシュはラブラドール・レトリバーではありません。念のため。
2004年6月1日
《ああキョウフの3連発終了…》 いやぁ、3日間連続でコンサートやったというのは初めての経験ですわ。5月27,28,29日。それぞれ場所もお客さんも違ったのだが、たくさんおいでいただきまして、ありがとうございました。実は28日ごろから花粉症か風邪ひいたか、という症状になってしまい、特にこの日は司会もしたので、ちょっと声がヤバかったけど、なんとか無事終えました。まぁしかし、この商売、健康第一ですね。今は終わってホッとする間もなく、茨木市音楽芸術協会の「魔笛」の企画でFAX用紙の束に埋もれてます。というわけで、じっくりレポートをしたいのだが、それはまた追々…。

2004年5月19日

《双子ちゃんネタ》 ついでにもう一つ。普通、2人の人が声をそろえてセリフを言ったりする時は兄弟でも小声で「せーの。」などと言うものなのだが、双子の場合、それは皆無なのである。なぁ〜んにも言わなくても、勝手に声が揃うのである。これはびっくりしたというより、感動したわ。おそるべし、血の力…。
《発表会その後》 いつも発表会が終わると思うのだが、このイベントが終わると同時に、みんな少しずつだが、確実に成長した後が伺えるのが面白い。N.Tクンはレッスンの時、ゲンコツでピアノをたたくだけだったのに、突然1本指で「演奏」するようになった。S.Sクンはそれまで左手を私が支えて演奏していたのに、発表会の本番当日、私がそれを間違えてしまい、「これじゃヤバイ。」と思ったのか、突如自力で左手を動かすようになった。ほかにも、歌が歌えるようになった子、挨拶ができるようになった子、さまざまである。これが楽しくて、この商売(?)やめられない“いしはら”である。
《コンサートいろいろ》 この5月、“いしはら”は超多忙である。月末には3日間それぞれ違うコンサートに出演している。まず27日に寝屋川キリスト教会のトロンボーンコンサート。28日は茨木カンツリー倶楽部のミニコンサート。29日は茨木東ロータリークラブのチャリティーコンサート。このコンサートは「茨木市に花を植える」寄付を募るために行うそうで、趣旨としてはバリアフリーだそうです。興味のある方はお問い合わせください。(問合せ先は「いしはらのコンサート情報」をご覧ください。)
2004年5月3日
《「ねこ君を知りませんか」こぼれ話》 わが、ひやくジョイントこんさあーとのオリジナルミュージカル、いつも、後方で私がマイクを持ってウロウロしているのが、お決まりのパターンである。今回、西田創(はじめ)クン、西田造(いたる)クンの双子の兄弟がはじめて出演。じっくり顔を見て話せば、どちらがどちらかわかるのだが、こういう場合とっさの事なので、どっちがどっちかわからない。そこで、「センセイの左が“はじめクン”」と、立つ位置を決めておいた。それでも、間違えて“いたるクン”の方にマイクを差し出してしまい、その都度、自主的に場所を変わってくれる双子クンたち。ありがとよ。
《フルーティストは猫舌》 で、発表会の感動もそこそこに、石原は鳥取へ演奏会のためご旅行。「ひやくジョイントこんさあーと」にも特別出演してくれた、川中志保、齊藤舞歌の両フルーティストと一緒である。実は“いしはら”猫舌で有名?である。しかし、川中、齊藤、いしはら。この3人で旅に行くと、熱いモノを食すスピードはだんぜん私が早い。なぜかっつうと、フルーティストは口が命!のため、ピアニストが手を怪我できないのと同じく、口をヤケドしないよう保護しているのである。朝御飯の時、3人ともアツアツの湯ドーフをさまして食べている。ふと前を見ると二人はわざわざ「あぶり直した魚」をまた冷まして食べていた。ほんなら最初からそのまま食えっつーの!σ(^◇^;)。。。
 そして、本番終わった翌日、フルーティストの2人は、熱い魚を熱いままおいしそうに食べていた…。

《きほかず一家お引越し》 そして、演奏会の翌日、じぃじ、あーちゃんときほ・かずのりの5人で鳥取砂丘へ。この間、《きほ・かず》の父、母は千葉へ引越しの準備に行っていた。(結局住居は千葉県鎌ヶ谷市に決定。)まず「鳥取砂丘こどもの国」へ。「こどもの国」なのに、こどもは無料で大人が入場料がいる。ひえぇぇ〜。500円も払ったんだから、遊ばにゃソンソンと、こどもと同じ所へ入っていったがさあ大変。狭い、細い、暑い。おまけにゴールデンウィーク真っ只中とあって、人が多い多い。ぜ〜えったいヤセたゾ!と思いながら、鳥取砂丘へ。
 「この山を登るのよぉ。」と、キホちゃん。あっそ、と歩き始めたが、登っても登っても砂の山。おまけに急な坂でついにあーちゃん途中でリタイア。しばらくかずのり君をおんぶしていたが、丁度いいタイミングでじぃじを発見、交代。キホちゃんは、遥か彼方に行ってしまっている。おいかけるが、しんどぉ〜。やっとの事で山を登ると、「この坂を下りると海があるのよぉ。」とキホちゃん。ひぇぇぇ〜。結局、根性で海までたどり着き、…という事は、帰りも行きと同じことを繰り返したわけで…。ぜぇ〜ったいヤセたゾ、と思ったが、反動で一杯食べたらしく、その日の夜体重計に乗ったら0,5キロ太っていた…。
 そして翌日、最後の[倉敷]へ。「むらすずめ」で有名な店の前で、キホちゃんと氷を食べていたら、「奥さん、奥さん」と呼ばれた。「え?私、私の事??」
 まぁ、子連れで歩いていたら、どこから見ても立派な「奥さん」に見えるのだが、普段「先生」と呼ばれても「奥さん」とか「おばさん」とか呼ばれたことがないもんで…。おまけに本人は自分のこと「一家のアルジ」と思ってるようなところがあって「奥さん」とは思ってない、つうのが余計にイカンのだが…。これだから独身はイカン、と言われないよう、ほどほどに世間に巻かれよう、と思う“いしはら”であった…。

そして、《きほ・かず》一家は千葉県へご出発。ちょっぴり淋しい“いしはら”なのでした…。
2004年4月21日
《ひやくジョイントこんさあーと終了!》 おっつかれさ〜ん!4月17日、好天の中、発表会が終了。少々内容が盛りだくさん過ぎではあったが、無事3時間で収まりました。(はぁ…)実は今回のため、新たにデジタルビデオカメラを(自腹で)購入。もっとも、最近じゃこれをデジカムと呼ぶらしい。目下、編集作業にいそしんでおります。右の写真は、ビデオから起こしたモノ。どうじゃ?
《そもそも…》 私のピアノ教師歴が約17年なのに、発表会が23回。これにはワケがあって、最初このコンサートは音楽愛好家の人たちの発表会で、私も中学生ながら出演していた。やがて音大生になり、ピアノの生徒も一緒に出演するようになって…、ついに「ピアノ発表会」へと変わってしまった。このコンサートにミュージカルや合奏がついているのは、そのせいで、「ピアノ発表会」と思って初めて来た人はびっくりするらしいが、もともとこちらが「本家」なのである。オープニングとエンドテーマの歌は第5回の時作曲(ちなみに高校3年生)。バリアフリーコンサートの時、開演前に流れるメロディーはこのコンサートのエンドテーマ「心に愛を」である。
《これがオリジナルミュージカル「ねこ君を知りませんか」だぁ!》 動物たちのお面(というか、かぶり物)は昨年と同じく、北条一輝ママの作品。今年は妹のまどかちゃんが主演。そうそう、北条一輝クンは今年はプログラムの表紙の絵も担当。このミュージカル中、注目は後方の“さくら”の木。実は昨年の「ゆうき君の手紙」旅公演で大活躍の木のセットに、ウチのあーちゃんがピンクのポストイット(貼ってはがせる紙)を貼って作ったもの。このポストイット、よくはがれるため、はらはらとピンクの紙が舞って、まるで本物の“さくら”のようであった。
「ゆうき君の手紙」リニューアル》 今日4月21日、茨木市クリエイトセンターホールで11月3日(!)のバリアフリーコンサートの打ち合わせ。何で今ごろから、とも思うのであるが、次回はちょっと凝った舞台をするためである。第1部では切り絵と音楽のコラボレーション、第2部ではオリジナルミュージカル「ゆうき君の手紙」をリニューアル再演。昨年色々なところで公演をさせてもらった中で、このミュージカルをもう少し長くしてほしいというご意見が多かったため、あくまで音楽的効果を狙いつつ、上演時間を約45分に。今回新たに加わった場面もあります。さらに“四季の精”を、この役のモデルともいうべき?小西潤子が演じます。(オペラ歌手としてのキャリアは相当なのに、ミュージカルの出演は初めてらしい。)また詳細につきましては、追々発表いたします。おたのしみに!

2004年4月4日
《やっとロゴマークが…》 といっても、印刷会社からのデータはまだ来ていません。実は、3月末で大阪音楽大学を定年退職されました指揮者の松尾昌美センセイ、翌々日には自宅はバリアフリー工房と化していた。あぁ、長い間これを待ってたのよぉ〜。何ていっても、趣味が高じて(?)プロも目をむくような最新の編集ソフトを色々もっていらっしゃるのよぉ。石原さっそく、書類を持って松尾邸に上がりこみ、「地図作ってください。」の、「ロゴマーク、スキャンしてください。」の、さんざん頼んだあげく、本人はしっかりと“まんじゅう”を食し、暗譜が心配なので、これまた松尾家で最近買い換えたというグランドピアノをバラバラ弾いておった。センセイはさぞかし迷惑だったに違いない。やっと静かな生活が送れると思ったのにねぇ…。でもおかげ様で、表紙に新ロゴマークが載りました。“Bくん”と“Fちゃん”です。(3月14日のコンサートで私が「両方とも男の子」と言ってたらアンケートにこの方がいいと書いてあったので。)よろしく〜。
《魔笛の季節》 石原、松尾センセイにバリアフリーコンサートのボランティアをさせるためだけで松尾邸に行ったわけではない。茨木市音楽芸術協会のコンサート、今年はイシハラが仕掛け人なのである。茨木市に12月にオープンする生涯学習センター(仮称)のこけら落としに、モーツァルト作曲の「魔笛」を松尾センセイの指揮で上演することになった。そのオーディションがこの週末にあるので、その打ち合わせに行ったのだぁ。このオーディション、ちょうど3月14日のコンサートの件でイシハラが新聞等に載った頃にイシハラの自宅の電話番号と共に掲載されてしまい、私はバリアフリーと魔笛と両方の電話でエライ目にあったもんだ。ま、しかし、当初の予想をはるかに上回る反応があり、これもこれでウレシイわね。さて、結果が楽しみじゃ。

2004年3月28日
《ロゴマーク》 …。この間、新ロゴマークを発表するといいながら、ただ今印刷会社より原稿が戻ってくるのを待っています。ごめんねぇ。ウチ、スキャンがないもので。14日のプログラムを載せるのもできないのよぉ。
《ひやくジョイントこんさあーと 練習開始!》 なんだ、バリアフリー終わってもお休みは一瞬やったなぁ。次はご存知!石原のゆかいな生徒たちの発表会「ひやくジョイントこんさあーと」4月17日午後1時より。茨木市クリエイトセンターホール。入場無料。

 今年のスペシャル企画は「服部ティーチャーとリレー連弾」。ひやくジョイントかんぱにぃ最高齢の生徒サンであります服部繁利さん、実は学校のセンセイなのだが、たまたま同じ学校の生徒が同じくウチの生徒でして、「センセイと連弾をしたい」と言い出した。ところがこの服部ティーチャー、ウチの教室では大変な人気者で、連弾したいという人はほかにもいる。しかも学校はただ今、年度替わりでティーチャーは超多忙。そこで…、「連弾したい人」まとめて「リレー連弾」することにした。さて、どうなりますでしょう…。

 もう一つ、予告にはなかったのですが、5月に鳥取で一緒に演奏会をするフルーティストの川中志保さんと齊藤舞歌さんが来てくれてゲスト演奏してくれることになりました。曲は矢代秋雄作曲「2本のフルートとピアノの為のソナタ」。すごーい現代曲ですけど、面白いです。ちなみに「バリアフリーコンサート」では、たぶん当分聴けないと思います。(有名な曲を中心にプログラミングするため)石原は再び必死でピアノに取り組むハメになっています。今年はどぉなってるんだ??乞うご期待!

 おなじみ、オリジナルミュージカルは「ねこ君を知りませんか」 動物たちが行方不明の“ねこ君”を探しにいく、というストーリー。原案はいつもの原山未妃(みき)さんで、今年はピアノも弾いています。台本書きながら、我ながら感心したのだが、後半いよいよ物語が佳境に入ったところで、「呪文」を唱えないと橋が渡れない、ということになるのです。そこで…。出てくるのが「じゅげむ」。ちなみに私は最後まで言えないのだが、これがまぁ、ほとんどの子どもが言えるんだわ。そういえば、私が「兵庫教育」に原稿書いた時に、“見本”で来た原稿が、その「じゅげむ」をテレビでやった仕掛け人のディレクターさんの書いたのだったなぁ。ちぇっ、こんな事ならもうちょっと真剣に読んでコピーの一つもしておけば良かった。しかし、子どもはスゴイです。ホント。

 なんせ、これらのミュージカル+合奏を、たった3回の練習で舞台に上げてしまうのだから、生徒にとっては気の毒としか言いようのない発表会だわねぇ。しかしこの緊張感が、たまらないんですわぁ。

 あ、忘れてましたけど、メインはピアノの発表会なんで。そっちは(たぶん)ちゃんとやってるハズ、です…。
2004年3月15日

《茨木バリアフリーコンサート終了!》 幸いにも好天に恵まれ、3月14日、茨木市クリエイトセンターホールでの公演が行われました。当初の予想を上回る249名が来場、石原はとりあえずホッと胸をなでおろしたことでした。ご来場、ご協力いただいた皆様、本当にありがとうございました。

 今回は室内楽ということで、普段より念入りな打ち合わせをし、(室内楽はオーケストラより一人一人の音色が目立つので合わせるのが大変なのです)当日も朝10時から延々と練習を続けていた弦楽器の皆様、本当におつかれ様でした。楽屋で化粧をしようとしていたら突然「アイネ・クライネ・ナハトムジーク」が聴こえてきて、CDが鳴ってるのかと思いきや、生演奏だったのでびっくりしたわぁ。また小西・藤村の両歌手は、普段レパートリーにしていない「ジュ・トゥ・ヴ」をアンコールで歌うことになり、楽屋でずっと復習していた。いつもながら、皆様の熱心さには頭が下がります。ありがとう。




《新ロゴマーク発表!》 今回、いつもにない小西潤子と私のトークショーというのがあった。これは舞台転換する“場つなぎ”みたいなものだったのだが、その中でバリアフリーコンサートの新しいロゴマークを発表。実は最近「バリアフリーコンサート」という名前のコンサートが関西でも数多く開催されるようになったので、何か目印になるようなものはないか、と考えた結果です。以前から使用していたロゴマークのマル君と四角君に「バリア君、フリー君」という名前をつけて、B,Fという文字を入れることにしました。今後とも、どうぞよろしくお願いします。しかし、トークは緊張したわぁ。(で、肝心のロゴマークはデータが間にあってないため、次回掲載します。)

《新・手話登場!》 といっても、お客様には何のことかわからないと思う。実は今まで、我々出演者は手話の花山教子さんが「右」といえば、その通り右手を出していた。それが、お客様から見ると逆になってしまうので、今回から我々は左右逆に手話をすることになった。実は今までから、小学校などで公演する時は左右逆にしていたのだが、同じ歌でも公演場所によって左右が変わるので、だんだんややこしくなり、ついに「今回から左右逆にします。」と言い切ったのは、花山サンである。一番ショックだったのは石原なのは言うまでもない。(…。)

《アンケートいろいろ》 「今回も息子の、ニコニコの笑顔を見ることができました。」と、書いてあった。たぶんこの日会場に来られるまでに、相当なドラマがあったんだろう。「バリアフリーコンサート」の場合、「演奏会に来た」という現実だけで親御さんが涙しておられることが多い。で、音楽はそれを盛り上げるBGMみたいなもの。演奏が上手だとか、人が感動するとかを目指すのではなくて、本来、音楽とは聴いている一人一人の中にあるドラマを盛り上げる、そういうものだと思う。それを目指していけたらな、と私は思っている。

 今回は久しぶりにカッチリしたクラシックのプログラムだったので、「ポピュラーやアニメの曲もしてほしい。」とのご意見もあったのですが、バリアフリーコンサートには色々なヴァージョンがあり、またそういう(ポピュラーやアニメの)時もありますので、こまめに情報をチェックしてください。よろしく〜。☆

《倉敷でバカンス》 実はバリアフリーコンサート終了後すぐ、アンケートと当日券売上げのお金だけを持って石原は弟(ウチでいうところの父)の住む倉敷へやってきた。この春中、電話番をさせた母(あーちゃん)に、孫とバカンスさせるためである。(実は今、倉敷でこれを書いている。)

 次の日、売上げの現金を持ち歩くのもどうかと思い、倉敷郵便局へ。機械で入金しようとして、あわててお金を入れたら千円札が10枚ごとに区切ってあったらしい。何度も何度も機械はお金を数えなおし、ついに「現金をお返しします。」とアナウンスが流れ…、ビリビリに破けて、増えた(ように見える)お金が出てきた!! はぁ〜びっくりした。郵便局の人が出てきて、「いくら入れたんですか?」 私「さぁ…?」 郵「とにかく今、これだけ出てきましたから。窓口で入金してください。」つづいて窓口へ。 私「すみません機械に入れたら破けてしまって…。」 郵「うぁぁ〜えらいことになりましたね。いくらあるんですか?」 私「さぁ…?」 住所を見れば大阪府。郵便局の人は、怪しいヤツと思ったにちがいない…。
2004年3月7日
《続編》 先日、このHPをごらんの某大学助教授の方から、すごーい計算のついた2月29日うるう年(日曜日)の一覧が来まして…。それによると、次に2月29日日曜日は28年後、その次も28年後、その後色々あってどこかが40年あく、という計算だそうです。あんまりスゴクて聞いても覚えてない自分が情けない…が。ま、ありがとうございました。
《続編2》 一週間たっても指の傷はなおらない。といいながら、すでに3月14日のお稽古は始まっている。やってみてわかったのだが、今回はえらいマジメなプログラムです。(普段がふざけている、という意味ではないので念のため) 石原珍しく(?)真剣にピアノに取り組んでいる。大阪・北摂地域のミニコミ誌「シティライフ」3月号の「旬の人」というコーナーに、石原が掲載された。この間、ジャンジャンピアノを弾いている横で電話が鳴り、勢いでとったら「あの〜石原光世サンのコンサートに行きたいんですけど〜」…。
「私、私本人ですっ!イャ〜そんな、私のコンサートってわけじゃないんですけどぉ〜」…と、言いたいのをぐっとこらえて、必死で事務員のフリする私。タレントとマネージャー、両方やっておりますんで。まあ、いろいろあるわけです。
あと1週間。まだチケットあります。よろしく〜。
2004年2月29日
《伊丹バリアフリーコンサート 終了!》 
 本日2月29日、4年に1回のうるう年の日、しかも日曜日。どうもこのめぐり合わせは、30年に1回くらいの割らしい。(楽屋でさんざん議論したが結論は出ず) 伊丹有明ロータリークラブ主催のバリアフリーコンサートが開催されました。あいにくの雨模様の中、大勢おいでいただき、ありがとうございました。帰る頃には雨もあがってよかったですね。

今回は「新しいリズムでGO!」の再演だったため、前は2人で分けてやっていたピアノと司会を一人ですることになり、私は段取りでちょっとバタバタしておりましたが、ホールの方が親切に応対してくださったので、助かりました。

ラストから2番目の「ブラジル」の演奏中、勢いあまって手の指の皮がむけてしまい、血が出てきてびっくりしたわぁ。ピアノを弾いていて血を出したのは、初めての経験ですわ。まぁ、そんなこんなを乗り越えて、無事終了いたしました。お世話になりました皆様、ありがとうございました。
《事件です》 …と前回書いて終わってたのですが、実は、ウチの弟(我が家でいうところの「父」)が、転職することになりました。しかも、転職先が東京、霞ヶ関。というわけで、きほ・かずのり一家は岡山から東京(方面)へ再び転居することになり、今度ばかりはそうそう「バリアフリーコンサート」のたびに呼び戻すわけにもいかず、現在スタッフ補充に頭の痛い毎日です。

 ま、3月14日は「最後のご奉公」とばかりにフル回転してくれるようなので、その後ゆっくり考えますか…。

 しかし、一家で東京ディズニーランドに遊びに行き、「父はお仕事あるからね〜。」と一人抜け出して採用試験を受けに行っていたワガ弟。しかも家族中誰もそのことを知らなかった。いや〜、やるなぁ、おヌシ。 

 私はとりあえずパソコンを何とかせねばならんのですが、やはり使いこなせず、HPのチケット予約が再びヘンになっています。ごめんね〜。たぶん大丈夫と思うので、予約入れてください。

2004年2月16日

《伊丹バリアフリーコンサートお稽古開始!》 …といったら、毎日練習しているように思えるかもしれないが、去る2月13日の金曜日(!)久しぶりに「新しいリズムでGO!」メンバーが集まり、お稽古がありました。やはり1回本番をやっていると、打ち合わせが早い早い。今回、伊丹在住の音楽家として、並木 円さんが加わり、いきなり「たき火」のピアノを弾くハメになっていた。(本当はソプラノ)本人はピアノの発表会以来の人前でのピアノ演奏だそうで「スタインウェイデビュー☆」と喜んでいた。そうそう、今回ロータリークラブの主催なので、ピアノも上等のスタインウェイを使わせてもらうことになった。(ゴメンねバリアフリーはお金なくって)この「新しいリズムでGO!」(今回は名前はイン伊丹と変わっている)なぜか大好評で、「このコンサートはぜひ行きたい」という人が多いのも事実である。演奏する側としたら、同じことをまたやるのは、ナンだか悪いような気がするのだが、まぁそこはサービス精神旺盛なバリアフリーコンサートですから、前よりパワーアップして踊ってしまう(?)んだろう。お楽しみに!!ホンマに楽しみやわぁ。

《昨日はコンサート》 そう、昨日15日は茨木市音楽芸術協会主催の「クリエイティブコンサート」。私は理事もやっているため、こういう場合もお客さんの入りの心配である。おかげさまで240名ほどご来場。よかったよかった。個人的には取材の人がやってきたり、なんだか忙しかった。お疲れモード全開で今これを書いているため、ヘンな部分は許してね〜。実はほかにも色々「事件」があったんだが、次回発表します。では…。
2004年2月5日
《ホワイトデーコンサートによせて》  3月14日のコンサートに向けて準備が始まった。コンサートの案内ハガキを送る人は、ついに600人を越えた。バリアフリーコンサートの場合、毎回必ず来てくださって、毎回必ずアンケートに答えてくださる、というありがた〜い常連さんが何人かいる。その方々は、もれなく案内ハガキ送付先の名簿に、毎回インプットされてしまう。それを見つけ出し、一人に絞るのが、私のおシゴトである。そのほとんどの方と私は、面識がない。(チケット予約の際、電話で話すので、声を知っている人は何人かいる。)だけど、この600人分の名簿をじ〜っと見ていると、一人一人の人生が見えてくるようで、いつの間にか人知れず愛情さえ感じてしまう、今日このごろである。(?)

また、人が600人集まると、同姓同名の人なんていうのも必ず複数いたりする。以前「引っ越しました」と連絡のあった人と同姓同名の人がいて、電話をかけて「前の住所はどこでしたか?」などというトンデモナイ質問をするハメになってしまった。(電話をかけられた方はヘンな奴と思っただろう)。また毎回、転居先不明やあて先不明で戻ってくるハガキが、かなりの数あるのも事実である。しかし、もしかしたらこれを見て来てくれるかもしれない、と思うと、送るのはやめられない。

今回、この600枚の案内ハガキに、1枚ずつ切手を貼る、とウチの母(あーちゃん)がのたもうた。ひぇぇぇ〜!おかげで、まる1日かかって、その作業は行われた。それでも…、切手が貼れていなくて戻ってきたハガキもあったっけ。

 まぁ、色々あるわけです。これをごらんの方で、ハガキ不要という方、メールで案内の欲しい方、ご一報ください。
切手代節約にご協力お願いします。(礼)
《クリエイティブコンサート》 2月15日(日)午後2時 茨木市クリエイトセンターホールにて。ソプラノの飯田佳世子さんと、中田喜直の「6つの子どもの歌」ほかを演奏します。入場料2000円。(18歳以下、障害者と介助の方1500円) ほかに、ピアノ独奏、フルートなどがあります。興味のある方は、バリアフリーコンサートの事務局まで。

2004年1月25日

《みぃみぃのつれづれ日記》 「13歳のハローワーク」という本が流行っているらしい。自分の興味のあることから、これだけの仕事がある、というのを探し出せる、という「辞書」みたいなモノだそうだ。さて、私のコトで恐縮だが、自分の13歳の時を考えると、夢は色々あった。幼稚園の先生、シンガーソングライター、タカラジェンヌ…。私の場合、ナゼかほとんどの夢が、形は少しずつ違うが実現してきている。(「花嫁さん」は実現してないけど、ブライダルの仕事をしているので、「花嫁さん」を見る機会は多い。)

唯一、予定になかったのが「ピアニスト」(笑)。音楽は得意だったけど、ピアノは人よりは弾けたが抜群にうまい、というわけでもなく、第一「音大」という所はお金持ちのお嬢様の行くところで、自分とは無縁と思っていた。そして事実それはそうだったのだが、中学生の時、父方の祖父が亡くなり、わずかの遺産が転がりこんできた。その遺産で、音大に行かせてもらった、というワケ。ピアノ科を選んだのは、「ピアノならいざとなった時にツブシが利くから。」という母の一言だった。

大学在学中は、どうせ学費が一緒なんだからと、単位だけは沢山取り、一方、クラブ活動でホンマによく遊んだ。友達と喫茶店に行ったりしだしだのは、3回生ぐらいの時。(かなり遅い?)卒業試験の時は、4つ下の弟が大学受験中だったのだが、私が防音もない部屋でジャンジャンピアノを弾いている隣で、テレビを見ながらコマーシャルの間に勉強していた(ヘンな奴だと思う)。その弟が国公立の大学に入り、私が卒業したので、両親のサイフのヒモはどれだけ緩んだかしれない。と書くと、まるで苦学生のようだが(?)、音大にはこういう境遇の人は多い。

かくして、私は音大卒業まで、家にグランドピアノを持つことなく過ごし、その後、「興味のあった」ピアノ伴奏で、音大に勤めることになった。「自分のグランドピアノがあると、また世界が変わるよ。」という先輩の一言で、自分でローンを組みグランドピアノを買った。と同時に、(家が狭いため)家族は一緒に住めなくなり、近所に移った。

高校生ぐらいのころ、30歳を過ぎた人たちに「若いっていいわねぇ。戻れるものなら戻りたい。」と、よく言われた。今、私は37歳。若い頃に戻りたいとは、全然思わない。まぁそれは、好きな事をさせてもらっているから、かもしれないけど、今の高校生や大学生を見ていて、なんか「生きるエネルギー」みたいなモノが薄いように思うんだなぁ…。人それぞれだから、なんとも言えないけど。

さて、「あなたの夢」は何ですか…?
2004年1月14日
《年頭に想う》 今年の目標。 「明日できる仕事は今日やらない。」

…ヘンなの。しかし最近、何となく「生き急いでる」ような感じがするのである。思えば、小さい頃から1999年の7月にノストラダムスの大予言で人類が滅亡するとばっかり思ってた。何故かその7月を生き延びてしまい、11月から「バリアフリーコンサート」が始まった。以来5年が過ぎ、私は充分「余生」を楽しんでいる。

「生きる」というのを、手話では「ガッツポーズ(頑張る)」で表す。人間は生まれてから死ぬまで、「頑張っている」のである。今ちょうど受験シーズンだけど、受験じゃなくても「頑張る」シーンは山ほどある。よく病気の人に「頑張れ」と言ってはいけない、というけど、それは多分、「頑張れ」と言われなくても、頑張らざるを得ない状況だから、なんじゃないかな。人間はその行き着く先が明らかに「死」である時でさえ、頑張ってしまうものなのだ。
今年は、ゆっくり生きてみよう、と思う“いしはら”であった。…

おおっと〜!! マジメな話ではないかぁ〜!

《…とエラそうに言いながら》 本日より、3月14日のバリアフリーコンサートのチケット発売。この間の宝塚のキョウフがよみがえる〜。(発売開始後、2時間電話鳴りっぱなしだった) ま、今回はそんなコトもないだろうけど。かといって、あんまりお客さん少ないと困るし。と、あいかわらず心配性の“いしはら”である。 

《ここでちょっと宣伝》 3月14日のコンサート、「ホワイトデーによせて」という副題がついている。バレンタインデーにコンサートをやる、というのは多いけど、なんでわざわざホワイトデーにコンサートやる??これは日ごろのご愛顧(?)に感謝して、バリアフリーコンサートから皆様への「お返し」コンサートなのです。実はオーケストラ等ハデなものを先にやってしまったので、目立たなかったのだが、その時にもご要望のあった「室内楽」がようやく、というか初めて登場。バリトンの藤村匡人さんは関西二期会で超売れっ子。今回はちょっと大人のムードですので、お楽しみに。ぐふふ。

2004年1月1日

《あけましておめでとうございます。》 今年もよろしくお願い申し上げます。今年は現在のところ、3回のコンサートが予定されています。まずは2月29日、伊丹有明ロータリークラブのお声がかりで開催する「バリアフリーコンサートinいたみ」。昨年1月大阪で開催し大好評だった「新しいリズムでGO!」が、ニューヴァージョンも加わって登場。なお、出演者でマリンバの矢野直子さんというのは、横田直子さんのコト。今回の出演依頼のため連絡をとったら、なんと昨年6月に結婚していた!はあびっくり。まぁでも、おめでとう。
《突然ですが…》 我が家における私の呼び名が、この年末から変わった。今まで「ごん」と呼ばれていたのだが(これは弟が私のことを『家中に波紋を撒き散らす怪獣アネゴン』と呼んでいたため)、これだと甥のかずのり君(2歳)が発音できない、とのことで、突然「みぃみぃ」に変わった。なんや、「ごん」は迫力満点で気に入ってたのにぃ。ネコみたいな名前になったなぁ。しかし大人たちはみんな「ごん、じゃなくてみぃみぃ」と呼んでいるのに、ただ一人ストレートに「みぃみぃ」と呼べるのは姪の希穂ちゃん(5歳)だけである。さすが、若いってすばらしい…。
【石原ファミリーの図】
       (コトある毎にこのスタッフで動いています。)
      
  じぃじ  ━━━  あーちゃん 
         ┃         
     ┌────┐
   みぃみぃ    父 ━━━━━━━━ 母
  (旧 ごん=私) (私から言うと弟) ┃  (弟の妻)
                     ┌────┐
                     きほ    かずのり
《年末らぷそでぃ》 今年は12月30日までレッスンをするハメになった。その合間に家のそうじ、バリアフリーコンサートの年賀状&案内状、自分の年賀状、親(じぃじ&あーちゃん)の年賀状、おばあちゃんの年賀状…。それに大学の仕事の手紙書きまでやってきて、ウチは書きものだらけである。最後のレッスンの生徒が帰り、機嫌よく表の戸を洗っていたら…、トゲを刺してしまった。右手の人差し指に2ヶ所。まだ障子貼りが残ってたのにぃ。しかたなく近所に住む私の最高齢の生徒Hさん(実は習字の先生)に訴えてみたら、ウチまで来て障子紙を貼ってくださった。このH先生、紙すきもやっているので障子貼りはプロ級のお手並みである。私は「ほぉほぉ」とカンドーしているだけで終わった。「何や、指に怪我してっ!化膿したらどうすんのっ!すぐトゲ抜かんとアカンよっ!」というわりには、我が家のメンバーは誰も私のトゲを抜いてくれる気配がない。しかたなく、「トゲ抜き地蔵」ならぬ「トゲ抜き歌手」小西潤子宅へ…。このお方、ソプラノ歌手になってなかったら外科医になってただろう、とソノ親が申されておる。一方私は大の医者ギライ。その昔、注射器見てそこいらを逃げ回っていた種類の人間である。さて、行ってみると、蛍光灯、ルーペ(なんでこんなモノ一般家庭にあるねん)、ピンセット、針と「トゲ抜きセット」が次々と出てきた。潤子嬢、めっちゃうれしそうに人の指をイジリたおしてくださる。痛い、イタイってばぁ。でも年内にカタつけないと、元旦の業務に差し障るし…(元旦は教会のオルガン演奏がある)。と騒いでいたら、びゅん!とスゴイ勢いでトゲの端っこが出てきた。おおっと〜!!約2ミリほどのトゲがお出まし〜。ああ感動。とりあえず私のトゲ騒ぎは終了したのでした。しかしこのトゲ、非常に複雑にささった上に中で分解してしまったので、まだ残っているような感じである。こりゃ、年始からまた一波乱ありそう…。